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あいちゃん涙のシネ劇場


涙にもいろいろありますが、純粋な感動の涙、純粋な悲しみの涙には、心身を浄化する作用があるといいます。

殺伐としがちな今の世の中、日常にポッカリと穴を開けるためには、泣けちゃう映画を見るというのも いいかもしれません。
笑うこと・泣くことは、体の免疫作用を高めるという効果もあるのです。
落ち込んだ時には、ドッと泣くという逆療法もあり。

ひずみ庵の常連さん・あいちゃんが、掲示板に連載してくださった「涙のシネ劇場」第1弾~第9弾を、ここにまとめました。
あいちゃんの手元に資料がなくて記憶をたどっているものもあるそうですが、ひとつ世間話のノリでご参考に!


by あいちゃん 2002/05/20

第1弾:『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』

スウェーデン映画ラッセ・ハルストレム監督88年作。

主人公の少年は、末期ガンで自分に愛情をかける気力も無くなった母親と愛犬と暮らしていて、父親は出張中と聞かされているけど不明。
とにかく様々な出来事があり、叔父の元へ預けられる。
でも幼心にどんなに苦しくても「僕なんて何も知らずに宇宙船に乗せられて最後には死ぬ運命にあるあの実験用ライカ犬に較べたらマシ」といつも心に言い聞かせて、必死に生きている。

母親の死、そして最愛の犬との驚愕の別れ。
それでも彼はライカ犬を思いながら耐えてゆく。
(少年の顔が愛犬にそっくりなのがカワユイ)
転向先で出会った美少女は、自分の胸が膨らむのが許せず、サラシをしっか巻いてボクシングなんかしかけてくる。
(今でもサラシの必要のないあいちゃんはウラヤマし)

けなげな少年の姿そして決してお涙ちょうだいではない淡々として描き方に、胸をえぐられます。
救いは叔父さんが心底優しいひとだったことですね。
・・・人生は、プラ・マイ・ゼロ、数々の波風を映画で乗り切った(これでも色々あんのぉ!)あいちゃんお勧めの第一作です。


第2弾:『ロングウェイ・ホーム』

81年アメリカ映画、公開は93年。

アル中で麻薬中毒の両親に廃屋に置き去りにされた三人の兄弟。
7歳と5歳(位)の男の子と4歳位の妹。
お兄ちゃんは近所からミルクやシリアルを盗み、二人の親がわりで必死に生活を支えます。
ミルクが足りなくて水で薄めて「まず~い」という妹。
それでもお兄ちゃんは幼い下の子にお洗濯や掃除を教えて、頑張る。
きっとアル中前の両親のしつけがしっかりしていたであろう事を伺わせます。

けれどもこんな生活が長く続くわけがなく、警察につかまり施設に行くことに。
施設でも三人しっかり固まって、兄は弟妹をかばって問題を起こすものの、兄弟愛の強さを感じます。
でも施設としても彼等をちゃんとした家庭に預けるのが目的。
ただ、三人揃って引き取る家庭はなかなか、ありません。
施設のカウンセラー(ブレンダ・バッカロ=好演)が心を痛めた事態が起こります。

下の弟妹を引き取りたいという家族が現れ、お兄ちゃんが寝ている前に二人は車の乗せられて~。
途中気づいた兄が必死に寝巻き姿で裸足で車を追い掛けて~(涙ボーダ)
そしてお兄ちゃんも良い家庭に引きとられ成長してゆくのですが、大人への不信感があるため、どうしてもなじめません。
この養父母もとても良い人たち。
高校の卒業式に家出して自活している彼を探して、心づくしの腕時計を差し出す、養父。
それさえも素直に受け取れない彼。この養父もしみじみ哀れ。
そして仕事を持ち、結婚した後、長男(ティモシー・ハットン)は別れた弟、妹を探しはじめます。

養子先を絶対に教えてはいけないという規則から、長男の兄弟さがしは絶望的。
それでも毎日の様に施設を訪れたり、さまざまな機関を当ったり。
あまりにかたくななその姿に妻の心さえも離れそうに。

でも兄は決してあきらめせん・・・そしてその必死の姿が、カウンセラーの心を打ち、ついに彼女は違法にファイルを渡してしまいます。
その後も各所に電話をかけてようやく弟が見つかりました。
すなおに真面目に育っていた弟を抱いて泣く兄。
そしてホンの偶然から近くに住んでいた妹も見つかり、空港から出てきた成長した妹。

最後に二人をしっかり抱きしめて兄は優しくなった顔でつぶやきます。
「やっと家に帰れた」I'm home! と..
実話だけに感動が素晴らしい。
最後の言葉で、すべての苦しみ悲しみが一瞬に消えていって大きな喜びが。
人生プラ、マイ、ゼロ!
これで泣けなかったらアンタは鬼だ!p(TロT)q


第3弾:『汚れなき悪戯』

55年、スペイン映画。

あいちゃんの唯一の生きて行く上の指針は、死ぬ寸前に“あぁ、生まれてきてよかったぁ”と言えること。
はっきり言って全ての生きとし生きるものは、生まれた瞬間に死ぬ運命にある。
早かれ遅かれどんな生命も死を免れる事は出来ない。
じゃ“どうせ死ぬんだから”というのと“死ぬからこそ生をまっとうしたい”と思うのと~
色々だと思うけど、あいちゃんはいつ何どき死を迎えても、“あぁ幸せだった”と言いたいの。
事故であろうと何であろうと。
その為には一瞬一瞬を楽しく幸せに味わいたいし、他人にも嫌な顔を見せたくない。
(だって何かの事故で亡くなって、誰かが思い出した最後の顔が醜かったり、最後の言葉が悪口だったら嫌じゃない?)
・・・と言いながらも生身のニンゲンっすから、ま、思う様にはイカンが。
と前置きが長くなってしまった。またジャリん子の映画です。

とあるスペインの片田舎のほとんど朽ちかけた古い僧院の前に生まれて間もない男の子(マルセリーノ)が捨てられます。
そこにいるのはほとんどが長年僧院暮らしの12人の神父。
子育てもみようみまねで、散々な思いをしながら、なんとか少年になったマルセリーノ。

男の子だけにいたずらが耐えず、絶えず神父たちを悩ませ、少年も神父たちにあだ名をつけてふざけまわる。
でも心のなかは、優しい暖かいお母さんのぬくもりを常に求めています。
通りすがりの女性が「マヌエラ!」と呼ぶ声を聞いて、マヌエラという友達をでっちあげては遊ぶマルセリーノ。

どんなに神父たちが可愛がっても、お友達が欲しい、それよりもお母さんが恋しい。
そしてある日、悪戯がすぎて禁じられた屋根裏に上ったとき、マルセリーノはそこに、やはり一人ぼっちで十字架に磔になっているキリスト像を見つけます。
驚いた少年が神父に尋ねると、禁じられた場所に行ったといって罰せられたりします。
(時期的にキリスト教が迫害にあっていた頃かもですね)

それでも好奇心を押さえられない少年は、密かにまた物置をたずね、ひもじい思いをしている像にパンを差し出すのです。
すると、十字架から手の甲にクギの跡のある手が静かにおりてきて(ここはちょっと恐かったです)そのパンを受け取る人。
ようやくみつけた優しそうで悲しそうな友達にマルセリーノは夢中。
神父たちの目を盗んでは、パンやぶどう酒を盗んでは、友達にふるまい、お話しをします。

そしてある日屋上から話し声がするのを不審に思った神父ば戸口に耳をつけると少年とキリストの不思議な会話が。
驚愕した神父ば他の仲間を呼んで全員が祈りながら聞いていると・・・キリストが少年に聞きます。
「今の望みは何なの。お礼になんでも叶えるから」
「僕はね、どうしてもお母さんのとこに行きたいの」

僧院中が不思議な光にみたされ、神父が涙と祈りで見守る中、幼いマルセリーノはキリストの腕に抱かれて、静かに、幸せに天国に旅だってゆくのでした。

後にそこは奇跡の地として有名になります。
(近年、リメイク版、マリセリーノ・パン・イ・ビノが出ましたが、全然駄目。何しろ主役の少年が満ちたり過ぎた顔で、昔の名子役パブリート・カルボの様に、心底寂しく、貧しさが伝わってこないのですもの)

キリストの奇跡を描く話でしたが、あいちゃんには現世の幸をもっと味わえなかった少年が哀れで、哀れで、悲しい主題歌とともに忘れられないお話です。


第4弾:『ジョニーは戦場へ行った』

71年、アメリカ。

第1次大戦中の野戦病院の一室。物置の様な暗い病室に横たわる傷病兵。
でもその姿は顔も手足もほとんど吹き飛ばされただの肉の塊のさま。
ところが彼(ティモシー・ボトムズ)の脳の1部は残っていて・・・
幸せだった少年時代。父親の教え。戦場にたつ前の恋人とのつかのまの逢瀬。すべてがみずみずしく甦っています。

病室の場面がモノクロで暗いだけ、彼の回想の場面の美しさがしみじみ心に染みます。
時がどうたって、季節がどうめぐるかも、もう何も見えず、聞こえず、話せずの彼には分らないすべて闇の中。
いえ、でも、誰かが身体(かたまり)を洗ってくれる。
優しい看護婦さんです。涙のあたたかさが肌に伝わっている。
ちょっと冷えてきました。

看護婦は涙の指で、かたまりの肌に“メリー・クリスマス!”となぞってくれます。
X'masの楽しかった思い出があざやかに甦って。
そして肉塊はようやく外界との連絡方法を見つけます。
それは思い出の中で父親が教えてくれたモールス信号。
狂ったようにうごめきだした肉塊を見て軍部はただ沈静剤を打って静めようとします。

でもあまりの激しさに看護婦は気づいて専門家を呼びます。
彼の訴えはこうでした!
「戦争の悲惨さを訴えるために僕を見世物にして!」
「じゃなければ僕を殺して!」
うろたえる軍部。
彼等はただだまって肉塊を暗がりに放置して隠蔽しようとします。
激しく身をうちつける体。
そして、あの優しい看護婦が静かに入ってきて、泣きながら生命維持装置をはずそうとした・・・が!
見つかって彼女はクビになってしまった。

ラストは暗い病室で肉のかたまりが激しく身体を打ちつけ続けるところで終ったと思います。
「どうか僕を殺して!」
・・・もう単純に悲しい、というより涙が出ないほど打ちのめされる映画でした。

誰も叫ばず(沈黙の叫びはあっても)誰も泣かず、それでも、これ程厳しく戦争のむごさを訴えた映画はあったろうか?
そしてみずからも赤刈り(アメリカ映画界に吹き荒れた狂気の様な共産主義=実はただ政府のやりかたを批判した人たち=の追放の嵐に追われたダルトントランボが33年前に書上げた脚本を元に監督し、実現したその執念)生命の尊厳について心から考えさせられる映画でした。
これを今若者たちを戦場に追い込んでいる全ての人に見てもらいたいと心から思います。
今回はちょっと厳しかったかなぁ。


第5弾:『シベールの日曜日』

62年、フランス。

ピエールはインドシナ戦争(フランスが、ベトナム、カンボジアなどのインドシナ半島を植民地かしようと戦った戦争)で頭を負傷し精神を病み、看病をしてくれた看護婦さんの恋人と同棲中。
ふとしたことで孤児院を通りかかり、そこに偶然いた12歳のフランソワーズという可愛い女の子(パトリシア・ゴッジ)の親に間違えられ、毎週の面会日に会いに行く様になる。

女の子というより女性が芽生えかけた、無邪気さとおませな振るまいにピエールはぐんぐん惹かれてゆく。
凍てついた氷の池に石を投げて、カラン、コロンと音をたてて転がってゆく。
美しいフランスの片田舎の光景がまるで詩の様。
ピュアな二人の心模様をそのまま写し出して。

フランソワーズには秘密があります。それは彼女の本名。
本名を知りたいというピエールに、クリスマスにツリーを立ててくれたら教えるという少女。
雪で凍りついた秘密の小屋に、苦労をしてツリーを立てようとするピエール。
そんなピエールの秘密の行動に不審を抱いた恋人はひそかに跡をつけて。

森の中の小屋で美しく灯火がともったツリーを見て感激する少女。
そして儀式の様に名前を伝えます。「ワタシの名前はシ・ベール(美しい!)よ」
「シベール」「シベール」何度も繰り返すピエール。

でもその頃、恋人は村人を呼んでいました。
そしてシベールの願いをかなえようとピエールがクリスマスツリーに登りてっぺんの星を獲ろうと思った時“少女誘拐”を疑った村人から射殺されてしまうのです。
最後に、少女を救ったと思った村人が彼女を抱きしめ、名前を聞いた時、少女は叫びます!「ワタシにはもう名前はないの!」

・・・傍目には親子の様な二人の、少年少女の様な純粋な愛情が周囲の無理解によって引き裂かれた悲しみ。
またこれも戦争の犠牲になった幼子のようなピエール(ハーディ・クルーガー)の無心な表情。
アンリ・ドカイエの美しいカメラ。
クラシック曲を多用したモリコーネの音楽。
泣きながらも映画芸術の粋を味わったような、絵画を味わったような陶酔感。
最後の少女の悲痛な叫びが後々まで心に残る名作でした。


第6弾:『ミッシング』

82年アメリカ。

ギリシャ出身の社会派監督と先ごろ亡くなった喜劇俳優出身のジャック・レモンの渾身の一作!
中流生活を営みその他大勢的体制派で何不自由なく暮らしている父親(レモン)の元に、長年反目していた息子の嫁(シシー・スペイセク)から息子が行方不明になったという連絡が入る。

元々ヒッピーのような生活をしていた息子や、同じ様な生活をしている嫁に反感を持ちながらも、嫌々、アジェンダ独裁政権崩壊後の軍政下のチリへ。
早速逢った嫁とはすぐに口ゲンカ。
カメラマンの息子はどこかへ撮影にいった様。
父親と嫁は反目しあいながらも息子を探しまわる。

警察も要領を得ず、ついには死体収容所なども。
どうも軍の拷問にあったような死体がどこにも累々と。
やがて分った驚愕の事実。
息子はCIAの主動で行ったクーデターの動乱に巻き込まれ、しかも事件を隠蔽するために、なんと死体はサッカー場の壁に塗り込められたいたのだ。

米領事館にいって息子を返してくれと切々を訴える父親。
そしてそこの高官の言った言葉。
あなたが今裕福な生活を営めるのも我々の活動のおかげなのだと。

今や嫁と心を通わせた父親は米に戻って政府を相手どり裁判を起こすも敗訴。
息子の死体をチリから輸送する費用も全て自分が払うことに。

・・・実話に基づいた衝撃の社会ドラマ。
愛する息子を自分が信じてきた政府に奪われた父親の悲しみ。
反目しながら次第に心を開いてゆく父親と嫁。
これも大声の叫びがなくても、沈黙の叫びが心につきささります。

特に最後の米領事館のスタッフの言葉が強烈。
だって我々も確かにその恩恵を受けている訳だから。
じゃ、単純にその体制を変えろといっても無理な訳だから。
暗い題材ですが、レモンと スペイセクの名演が素晴らしく、ラスト前までは普通の嫁、舅のドラマと見せて美しい。
涙というより怒りの一編です。
体調の悪い時にはお勧めいたしません。


第7弾:『プレイス・イン・ザ・ハート』

84年アメリカ。

舞台は30年代アメリカ南部、保安官の夫と育ち盛りの息子、幼い女の子と幸せに暮らしていたエドナ(サリー・フィールド)の生活は、夫が酔っ払った黒人少年のピストルの暴発に当って死んで、突然崩れてしまいます。
(少年がいきなりリンチでしばり首にあうのも当時の南部の背景が分り慄然とする)

銀行からは早速家屋のローンの支払の催促。
美容院を経営している姉の元へ借金にゆくも姉の暮らしも豊かでないのを知り、無言で立ち去るエドナ。

そこへ黒人(ダニー・グローバー)が物乞いに来る。
勿論あげるお金など一文もないが、せめて食事をとありあわせの物を出す。
(エドナもエドナの亡き夫も偏見が全然ない人たちだという事が分ります)

しかしその後保安官が盗まれた銀食器を持って黒人をひったてて来る。
気丈に「それはあげたもの」と答えるエドナ。(でなければこの黒人もリンチにあっていたでしょうから)
そして物置に住んでもいいという彼女。
子供たちは早速彼になついて仕草まで真似したり。

黒人は彼女の庭を見て、ここに綿花を植えればお金になる、と教える。
そこへ銀行家が、盲目の義弟を連れて現れローンの一部に彼女の所に下宿させてくれて言う。
虐げられ偏屈になった男。
(アカデミー賞助演賞候補となったこれがデビュー作のジョン・マルコビッチ。盲目演技が舌を巻くほど上手い)
色々詮索する子供たちにも我慢がならない。

長男が隠れてタバコを吸ったということで学校から注意されて戻ってくる。
「こんな時父さんならどうしたの?」と息子に聞くエドナ。
「皮の鞭でお尻をぶたれた」歯を食いしばって息子のお尻を打つエドナ。
部屋の外では妹と盲目の男が泣きながらその音を聞いている。
やがて鞭を取り落としたエドナ。
「もう2度と決してこんなことはしない!」と息子を抱きしめる。

やがて南部特有の激しい竜巻が一家を襲う。
盲目の男は家中に綱をめぐらし伝い歩き出来るように。
黒人も子供も全員で激しい嵐をしのぎきる。

綿花の収穫一番乗りに100ドルの賞金が出ると知ったエドナは早速黒人の助言を元に最高の綿花の種を手に入れる。
(種を買い入れる為の借金をするため必死で銀行家と渡りあうエドナ。最初は弱々しい普通の家庭の主婦だった彼女が次第にたくましくなってゆく様が嬉しくもあり、悲しくもある)

綿花を植えた後、KKK団が黒人を襲ってくる。
彼を助けようと必死の盲目の男は、盲目なりに人の声を覚えていて、マスクをしている男たちの名前を一人一人挙げ、一味は去ってゆく。
その時はじめて助けた相手が黒人だと気づく設定も素晴らしい。
(盲目でなかったら彼も偏見を持ったグループに属していただろうから)

そして収穫の時がくる。
男も女も子供も総出で、トゲのある枝から綿花をつむなにしろ一番の収穫に間に合わなければならないから日の出前まで血だらけ、泥だらけになり這いつくばって綿花を収穫するエドナ。
そこへ黒人の仲間たちも大勢手助けにやってくる。
盲目の男も食事の炊きだしに一役かって大童。

そしてようやく一番乗り!
なんとか家の借金を返すことが出来た。
けれど黒人は、また迷惑をかけたくないとどこかへ去ってゆく。
ラストの教会の場面が素晴らしい。

エドナと子供たち。亡くなった夫、その夫を事故で殺してしまった少年、黒人たち、盲目の男、全ての人たちが平和に静かに賛美歌を聞いている。
監督の心からの願いが伝わってくる美しい場面。

この映画でアカデミー賞主演賞を受賞したサリー・フィールドは最初は心細い平凡な主婦だったのが、夫をなくして雄雄しく、たくましくなってゆく女性像を熱演。
時々夫とのダンスを夢に見て、泣く、女らしらも捨てず、素晴らしい熱演。
この話に、エドナの姉の夫と小学校教師の不倫がからむ。
(このエピソードもわびしく悲しい。エド・ハリスの夫とこの映画が縁でハリス夫人となったエーミー・マディガン。悪い人たちではないのに運命のいたずらでそうなってしまった悲しさ)

出演者全員の好演、素晴らしい映像すべてが一体となった感動の一編です。(もう1度見返したかったけど、近くのツタヤに置いてなかった。残念)


第8弾:『變臉(へんめん)/この櫂に手をそえて』

1996年、中国。

中国の古典的大道芸(?)変面(字が面倒なので当て字で)は紙製のお面を瞬間的にいく通りも変化させる驚異的なもの。
(映画でも早過ぎてその秘密の程は分りませんが)

変面王とはやされる老人(NHK「大地の子」の育ての親を演じた中国の名優)は妻も子も失い孤独な身で中国各地の大道で身を立てているが、そろそろ後継者を探そうとしている。
伝統的に男子のみと決められている子供を探し、人買い(こういう職業がいるのも悲しい。極貧の暮らしから孤児や捨て子が多かったのでしょう)から可愛い男の子を買う。

一緒に旅する可愛い猿も嬉しそう。(このお猿さんがまた演技上手)
幼い子供は、家族が出来た嬉しさ、何度も何度も「おじいちゃん」と呼び、岩肌にこだまするのを楽しんでいる姿がいじらしく涙をさそう。
一人暮らしが長かった老人も最初はかたくなだったのが、無邪気な子供に次第に心を開いてゆく。
しかし子供は子供、大事な面を焼いてしまったり、老人からせっかんされることもしばしば。

旅の途中では、京劇の名優にも会う。
この名優も苦労した人らしく老人の芸を尊敬し、いたわる優しさがある。

そうやって小舟で川を登り下りしたり、大道を歩いて旅をしながら芸をそろそろ教えようかとした時、老人がハチに刺されその傷を消毒しようと、小水をした事から、男の子だとばかり思っていた子が女の子だと分る。
騙されたと激怒した老人は女の子を追い出す。

再び孤児になり、畑をさまよい生の大根を泥つきのまま齧り、ようやく生き延びてゆく女の子。
仲間を失ったお猿さんも寂しそうで、以前に撮った女の子の写真を老人に見せる。
老人怒って写真をびりびり切り裂く。

ある祭りの日、金持ちの男の子が祭り見物にきて人さらいにさらわれる。
そして偶然女の子もその人さらいに拉致監禁される。

幼い男の子の泣き声を聞きつけた女の子は、習った芸を駆使して男の子と一緒に脱出し、この子ならとその男の子を老人の船に置き去る。
(あくまでも老人を助けようとする女の子の心根が哀れ)老人は思いがけず男の子を見て狂喜する。
これで芸が伝えられる!ところが今度は老人が誘拐の罪で鞭打たれ、投獄され死刑を宣告されてしまう。

自分の機転が思わぬ災害をもたらしたと苦悩する女の子。
老人を追い掛けて牢に入り込むお猿さん。
女の子は地元の権力者と親しい京劇の名優の所にかけ込んで、なんとか老人を助けてと頼む。

しかし、名優とて所詮は芸人。
雇い主の機嫌を壊すことは出来ない。
そこで少女は老人を助ける為に決死の芸を披露する。
その勇気に驚いた権力者は、名優のとりなしに免じて老人を釈放する。

名優に礼を言う老人に、本当に感謝すべきはあの女の子だと事情を打ち明け、老人と少女は今度こそ本当の親子の様に抱き合い、二人で大道芸を披露して歩くようになる。
お猿さんも嬉しそう。

・・・老人役(チュウシュウ漢字忘却)の至芸。
無名の少女の驚異的名演(この映画の後 有名になった娘に嫉妬した母親は娘を連れて出て、現在は行方不明とのこと。残念)
映像の美しさ。
全てが 素晴らしい。
自分を犠牲にしても生まれてはじめて出来た家族をなんとか助けようとする少女のけなげさに心から打たれます。


第9弾:『天使の詩』

67年イタリア、

8歳のアンドレアと4歳のミロという可愛い男の子と一緒にフィレンツェに赴任している英国領事。
妻の突然死で悲しみにくれ、4歳のミロにショックを与えないようにと兄だけには母親の死を知らせ弟には内緒にと。

その後無邪気な弟にひきくらべていつも叱られ、しっかりするようにと厳しくしつけられる兄。
そして大好きなママの声を録音したテープを弟が誤って消してしまい、またそれを父親になじられた兄はついに自殺してしまうのです。

後に残された父親は8歳の男の子の悲しみに気づかなかった自分を責める、という話。
美しいフィレンツェの自然や広大なお屋敷。
美しい二人の男の子。
父親の悲しみ。
夢の様な美しい画像に泣けました!

同じような話に、優等生型兄と、破滅型弟(ブラッド・ピット)の比較を描いた『リバー・ランズ・スルー・イット』がありましたね。
ここでも美形乍ら何をしでかす分からない弟、でも家族からも一番愛された弟を、嫉妬しながら、深く愛し、傷つく兄の姿が印象的でした。


<Darth Yumi からの情報>

これも同じような主題の、『ウインター・ローズ』(原題は『 Misunderstood 』)があります。
1984年ごろ見た、たぶんアメリカ映画。ストーリーはウロ覚え。(頼りない~)
主演は ヘンリー・トーマス少年(当時)。

チュニジアに住んでいる一家の、若く美しいお母さんは病気で亡くなる前に反抗期の長男を呼んで告げる。
「あなたが私をとても愛しているって、私にはよくわかっているから」

妻を亡くして悲しみのあまり余裕のない父親は、無邪気な次男だけをかわいがり、反抗期が去らない長男は ひとり寂しく悲しみに耐える。
お墓にいて、地元民のお葬式を見て泣く少年を、喪主は自宅に招いてもてなす。

ある日、お兄ちゃんは「勇気の木」と密かに名づけた、崖っぷちに張り出した木の幹を、いつものように渡っていた。
そこへ弟が追いかけてきて、よせというのに「ぼくも~!」
木は折れて、長男は重傷で亡くなってしまう。
後悔する父親。

風景の美しさ、音楽の美しさに、しみじみ心に残る映画でしたが、近くのT○UTAYA にない!




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