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6: ゆきちゃん・ベトナム編3
    (初回掲載・2002年8月29日、再掲載・2005年1月31日)

by あいちゃん

ベトナムの朝は早くて、5時位からまたバイクの音がゴーゴーしはじめました。
お母さんのベッドのふとんの上でグースカ寝ていたゆきちゃんも、ものすごい騒音に目をさまして、また窓枠に座って外を眺めます。
バイクの大群がまた大通りをぐるぐる回って、遊園地のゴーカート場みたいで、じっと見ていると目が回りそうです。

お母さんは昨日の疲れからかぐっすり眠っています。
ときどき
「あれぇゆきちゃん、どうしたの?」とか
「駄目っ、大ちゃん!」
とか寝言を言っているので、おかしくなります。

今日ドクさんが朝9時に迎えに来るといっていたのを思いだし、ゆきちゃんはいつも朝にお母さんを起こすように、片手でそっとお母さんの頬をなでます。
「なぁーに?ゆきちゃん?お腹空いたの?」
お母さんはまだ目をつぶって寝ぼけ声で答えています。
「違う、違う、お出かけの時間」
と、ゆきちゃんはニャーニャー泣くのですが、お母さんはゆきちゃんの手を振り払って、寝込んでしまいます。

ゆきちゃんは今度は両手でお母さんの頬っぺたを軽くひっかきます。
「むにゃむにゃ」
毎朝のゆきちゃん攻撃で慣れているお母さんはなかなか取合いません。
つぎは奥の手ジャンプです。
ゆきちゃんは一旦床に降りると、お母さんの胸をめがけてジャンプします。
「ムギュッ、何するのよ!」

さすがにお母さんも目をさまして、半分寝ぼけ顔でゆきちゃんをにらみます。
ゆきちゃんは大きな声でニャーニャー訴えます。
「分かった、分かった、お腹空いたのね?」
お母さんはよっこらしょといいながらベッドから置きあがって、そばのテーブルの時計を見ます。
「やぁーね、まだ朝の6時じゃないの?」
それでも浴室にゆくとまたゆきちゃんに缶づめとペット・ボトルの水をくれました。
そういえばお腹ぺこぺこ。

ゆきちゃんはお母さんを何で起こしたのかも忘れて、夢中でごはんを掻き込みます。
それから又新聞紙の上にウンチをすると、大きくのびをしてベッドに飛び乗りました。
何だか眠くなってしまったのです。
お母さんはおとなしくなったゆきちゃんを見ると安心した様にこんどは朝食の場所に行く支度をしています。

朝食の場所はホテルの最上階にありました。
お母さんはそこでツアーのグループの人達と一緒になって、固まってテーブルにつきました。
朝食はバイキング形式で、小皿に海老とかハムとか野菜とか載ったものがあって、好きなものを指差すと、まぜてその場で特製オムレツをつくってくれたり、魚介類のスープや麺があったり、チャーハンがあったり、西洋式のパンやらハム、ソーセージがあったりで、味付けがあっさりしてとても美味しいのです。

ベトナムは昔フランスの統治下にあったので、フランス料理の影響かパン類も美味しく、珍しい果物も沢山あって、皆美味しい、美味しいといって食べています。
ホテルの人達も押し付けがましくなく感じが良くて皆感心しています。
フランスではコーヒーが美味しいのに、コーヒーだけは何だか粉っぽくて美味しくありませんでした。

お母さんもお腹いっぱい食べ、ついでにゆきちゃん用のハムや肉だんごを、ナプキンに包んで、「では後ほど」といって部屋に戻りました。
ゆきちゃんは慌ててクローゼットに駆け込んでいます。

「ゆきちゃん、大丈夫、お母さんよ」
という間もなく、ゆきちゃんはお母さんの匂いにすぐ気がついてーそれとも肉だんごの匂いかなークローゼットから飛び降りて、足元にすりよってきました。
お母さんが市内観光へ出かける用意をしている間に、肉だんごのかたまりを貰ってゆきちゃんはご機嫌です。

でも今日も一日留守番だと嫌だなァと思ったゆきちゃんは、先手をとっていつもお出かけの時に持つ布製の大きなショルダーバックの中にはいりこんでしまいました。
お母さんは、お化粧を直して出かける用意をしているともう9時近くになったので、慌てています。
「ゆきちゃん、ゆきちゃん!」
と探しまわっているので、
バックの中にいるゆきちゃんは可笑しくなってつい笑いそうです。

「どこへ行っちゃったのかしら、もぉ。きっとクローゼットの奥に隠れてるのね。いいわ、じゃぁいい子にしていなさいね」
といいながら、お母さんはベッドの上のバッグをとりあげると、急いでエレベーターに向います。
あんまり急いでいてバッグが妙に重いのに全然気付かないみたいなので、またゆきちゃんはクスリと笑ってしまいました。

ホテルのロビーでは、ガイドのドクさんとツアーのグループがみんな集まっていて、お母さんが一番ビリのようです。
「ごめんなさい。遅くなって」
と、お母さんは平謝りに謝っています。
まさか猫を探していた、とか言えないものねーと、ゆきちゃんもバッグの中で頭を下げました。

ベトナムは今、戦争からの復興のまっさかりですが、やはり国がまだ貧しいせいかスリやひったくりが多いので、人ごみの中に出る時はあまり貴重品や現金を持たないようにというので、全員慌てて現金やパスポートをホテルのセーフティ・ボックスに預かってもらっています。
お母さんもお財布を出そうとバッグに手を入れた途端に、生暖かい毛深いものに手をふれて、一瞬ギョッとした顔をしましたが、他の人達にバレるとまずいのでそしらぬ顔で、パスポートとお財布を抜き出しーついでにゆきちゃんの背中をなでなでしながらーセーフティ・ボックスに預かってもらっています。

さて、冷房のきいたバスの中に乗り込んで、いよいよ観光に出発です。
最初はベン・タイン市場という所らしいです。
冷房も気持良く丁度お母さんのお膝の上に横になる形になったゆきちゃんは早速お昼寝をはじめました。

ベン・タイン市場はホー・チミン市で最大の市場で食料店や雑貨屋が所せましと並んでいる、日本でいえばデパートのような所です。
色とりどりの洋服、靴、バックなどがごちゃごちゃ並べられていますが、ほとんどが中国製といった感じで、安っぽいものが多く特に欲しいといったものはありませんでした。
大型の中華街といった雰囲気です。
通路がせまいので、並んでいる籠なんかに頭をぶつけながらみんなひとかたまりになって歩いていきます。

その後、細かい彫刻で飾られたヒンドゥ寺院とか、海の神様を祭るティエン・ハウ寺とかをまわりました。
ティエン・ハウ寺では香取線香をつるして延ばしたような長さ25センチ位の円錐系になった珍しいお線香があって一度火を灯すと2週間くらいお線香の煙が続いて色々ご利益があるらしいというので、筆で名前を書いてもらってつるして貰いました。

お母さんは、ゆきちゃんと大ちゃんもといって、それぞれに名前を書いてつるしてもらったので、東京に戻ってもしばらくはそこでお祈りのお線香が燃えていると想像して、何だか嬉しくなりました。

それから戦争博物館へいったのですが、ベトナム戦争で米軍がした残酷な事とか、主にアメリカを非難する内容が多くて、確かに戦争は残酷なものだけれど、戦争中はどちらか一方が正しくて、一方が悪いという事は無いと思うので、見ていて気持のいいものではありませんでした。

暑さのせいもあってお母さんは少し気分が悪くなりましたが、バッグの中のゆきちゃんも暑くなってのどがかわいてきました。
おもわずもぞもぞしているとお母さんが慌てて上から押さえつけるのでますます苦しくなって小さく声をあげてしまいました。

お母さんがぐったりしているのを見てガイドのドクさんが、あっちの水上人形劇を見られたらどうです、といってくれました。
その人形劇は今までどこでも見たことがない、不思議なものでした。

10メートル四方くらいのプールの上に30センチ位の大きさの人間の形をした人形や、お魚や、鳥の人形などが色々な物語に合わせて、踊ったり、船で移動したりするのですが、水面の下には何も見えないのでどうやってあやつっているのか、全くわからないのです。
人間が下に入っていても水がもれるでしょうから難しいし、色々考えてもどういう仕掛けで人形たちがあちこち動きまわるのか分からないのです。

涼しい中で綺麗な衣装をつけた人形達の動きに目を奪われていると、いつのまにかゆきちゃんもバックの中から顔を出して水上の魚の動きにあわせて首を動かしています。

あら、困ったと思ったすきに、もうゆきちゃんはバッグの中から飛び出して魚を追ってプールの中に飛び込んでしまいました。
今まで水にぬれるのが死ぬ程嫌いなゆきちゃんなのに一体どうしたことでしょうか。
「きゃー!」
お母さんの悲鳴と会場からの「なんだ、なんだ?」の声で、いっそうパニックになったゆきちゃんは、ずぶぬれの身体のまま会場の外に逃げ出してゆきました。
「あぁー大変!ゆきちゃん、どこにゆくの」
お母さんも慌ててその後を追います。

ドクさんがかけつけてきました。
「何があったんですか?」
「猫が逃げちゃったんです」
半泣きになってお母さんが訴えますが、ドクさんは変な顔をしてお母さんを見つめています。
暑さでおかしくなったのかな、そんな顔をしています。

「実は日本から来るとき荷物に猫がまぎれこんでいて、それでしょうがなく連れてきてしまったんです。ゴメンナサイ」
お母さんは小走りにゆきちゃんの後を探しながらドクさんに説明しました。
ドクさんも小走りにその後ろを走っています。
でもゆきちゃんの姿はもうどこにも見当たりません。
「やっぱりホテルの部屋においてくるんだった」、とお母さんは後悔しましたが、もう手遅れです。

「きっとその内お腹が空いたら出てきますよ」、とドクさんはいうのですが、グループの他の人もいるので猫さがしばかりしていられません。
「どうぞ先へ行ってください。私はここで待っていますから」
お母さんはドクさんにそう言いました。

ドクさんは困っているようでしたが、
「そうですか、それでは後で必ず迎えに来ますからここで待っててくださいよ」
といって他の人達とバスに乗り込んで行きました。
「大丈夫です。でも他の人には猫の事内緒にしてくださいね。ここで知り合いと待ち合わせをしているという事にして」
と、お母さんはドクさんに頼んで、いかにも何もなかったかのようにバスの皆にニコニコと手を振りました。

けれども、皆がいってしまうとお母さんは急にこころ細くなりました。
でもとにかくゆきちゃんを探さなくてはなりません。
建物の裏側に回ったり、木の陰にかがんだりしてゆきちゃんの行きそうな場所を「ゆきちゃん、ゆきちゃん」と呼びながら探し回るので、他の観光客や売店の人たちが不思議そうな顔でお母さんの方を見ています。

しばらくすると優しそうなベトナム人の女の人が近づいてきてやさしい声で日本語で
「どうかしたのですか?」
と尋ねました。
「わたしの猫がどこかへいってしまったんです」
と、お母さんはやさしそうな顔を見てホッとして言ってしまいました。
「猫?」
と、一瞬そのお姉さんもびっくりした顔になりましたが、じゃ私もお手伝いします、と周りを歩いて探しはじめました。 (つづく)



7: ゆきちゃん・ベトナム編4
    (初回掲載・2002年9月11日、再掲載・2005年1月31日)

by あいちゃん

おちついて回りを見回すと、ベトナムには野良猫というものがほとんどいないのに気がつきました。
きっと自分たちの食料で大変なのでなかなか猫を飼ったり、野良猫がえさを食べられたりする環境ではないのかもしれません。

ベトナム人のおねえさんはクァンさんといって、ほっそりした身体に刺繍のある水色の上着と白いパンタロンのアオザイというベトナムの民族衣装を着ていました。
上着のすそがウエストの上くらいまで空いているので風がふくとすそがひるがえって裸のところがちらっと見えてとてもセクシーです。
ベトナムの男性達はこういうのを毎日みても何も感じないのかな、とお母さんは思いました。
ベトナムの若い女性はみんなとても姿勢が良く、胸があってウエストがきゅっとしまって足も細くて長くて、とてもカッコいいのです。

といっても今は女の人のファッションセンスに感心している場合ではありません。
クァンさんと手分けをして 必死にゆきちゃん探しをはじめます。

小さなお堂のような所ではべトナムの民族音楽の演奏がはじまって、日本のお琴をもう少しやわらかくしたような繊細な音で優雅な調べが流れてきます。
でもゆきちゃんがどこに行ったのか心配でたまらないお母さんには、静かな調べも不安をかきたてる音にしか聞こえません。
やがてクァンさんが話してくれたと見えて、大勢の男の人やこどもたちまで加わって、ゆきちゃん探しがはじまりました。

お母さんは恥ずかしいやら、申し訳ないやらで、暑さも加わって汗だらだらです。
するとお堂に前で、白い木綿の日本のステテコの様な服を着て座っていたホーチミンにそっくりな白い髭の老人が手招きして、はっかの味のする冷たいお茶を飲みなさい、飲みなさいと勧めて「大丈夫。大丈夫」というように背中をなでてくれたのです。

お母さんはなんだか涙がでそうになり「ありがとうございます」と頭を下げ続けました。
でもいなくなって2,3時間するのにゆきちゃんはどこにも見当たりません。

さて、肝心のゆきちゃんはどうなっているでしょう。
水上人形劇のプールから、ずぶぬれになったゆきちゃんはおお慌てて飛び出し、木陰の下に駆け込んで、プルプル水を払い、舌でなんとか毛を乾かそうと必死です。

と、そこへあずき色の衣をきた可愛い子供のお坊さんがやってきて、ゆきちゃんの様子を珍しそうに見守っています。

ゆきちゃんも身体をなめるのを止めて、愛嬌のあるやさしそうな小坊主さんを見つめ、丁度冒険もしてお腹も空いてきたので、何か貰えないかなぁとニャ~ンと鳴いてみました。

すると小坊主さんはゆきちゃんを抱き上げて近くのお寺に連れていって、お皿にご飯とお魚、そしてベトナムのカマボコみたいのを乗せてごちそうしてくれました。
ご飯にはニョクマムといってお魚から出来たお醤油をかけてあるのでのどが渇きます。
お水もほしいにゃ~とウロウロしてると、小ばちにお水も運んできてくれました。

仲間の小坊主たちも興味いっぱいで見学にきています。
「これこれお前たち」というようにお寺の偉い僧侶みたいで黄色い衣を着た人が出てきて、
「おーりゃこれは珍しい三毛じゃないか。ベトナムには無い猫なんだよ。どこから来たんだろう」
と、不思議そうに言っています。
みんなでなでたり、大体大騒ぎです。

でもゆきちゃんは、お腹がいっぱいだし暑いしで、眠くなってきました。
それで眠る所をさがそうと本堂に走りこみ、綺麗に彩色してあるお仏像の後ろに飛び込んでゆきました。
その場所はよくお母さんが、無くなったご主人の命日とかいってあげるお線香の匂いがしています。

毎年命日には、お母さんは箪笥の上においてある小さなお仏壇の扉をあけ、ろうそくとお線香をともして、両手をあわせて祈ります。
ゆきちゃんが甘えてそばにゆくと抱き上げて、ゆきちゃんの両手もあわせて「ナマナマしましょうね」といいます。

どこか悲しそうなお母さんを見るとゆきちゃんも悲しくなり、一緒にナマナマしながらにゃ~ん、と鳴いてしまします。
お母さんはゆきちゃんの頭をなでながら涙をぽとっとこぼすこともあります。

静かで暗い本堂のお線香の匂いにつつまれながら、眠りはじめたゆきちゃんの両手はいつのまにかナマナマの形をしていました。
本堂の壁には昔ゴ・ジンジェムというベトナムを統治していた人が貧しい民衆をいじめたのに抗議して、自分の身体にガソリンをかけ焼身自殺をとげたお坊さんの写真がはってありました。
ゆきちゃんをひろいあげたあの小坊主のおじいさんでした。
炎につつまれながら、おじいさんは穏やかに微笑んでいました。

しばらく大ちゃんと一緒に遊んだりと楽しい夢を見ていたゆきちゃんは、にぎやかな声で目をさましました。
どうやらみんなで暗い所にかくれたゆきちゃんを探し回っているみたいです。

隠れん坊みたいで楽しくなったゆきちゃんは、またごちゃごちゃした隙間に入り込み逃げ回って、本堂の床下に入り込んでしまいました。
ジメジメとヘンな匂いがします。

すると床下の奥のほうから、大きな灰色の生き物がもそもそと近づいてきました。
フーツ!と脅かしても全然平気で、ずんずんそばまできます。
あ~~もう駄目!
気の小さいゆきちゃんは慌てて、お尻を向けて逃げ出しました。

お堂の外に抜けて綺麗なお花が咲いている花畑を逃げ回っていると、小坊主たちがはやしたてて笑っています。
なんとゆきちゃんを追いかけているのは、大きなドブネズミなのです。

東京でネズミなどを見たことが無いゆきちゃんには変な匂いのする恐ろしい生き物にしか見えません。
またよほど食料がいいのか、ここのドブネズミはゆきちゃんと変わらない位大きいのです。

でも猫はネズミを追いかけるのが普通のこの国の人たちには、ものすごくおかしな光景だったみたいです。
ゆきちゃんはとうとう終いには、最初に見つけてくれた小坊主の胸の中に飛び込みました。
ドブネズミは小坊主たちがほうきを持ち出して追い払っています。

でも決して殺しはしないのです。
ベトナムの人たちは動物を無駄に殺したりしない優しい気持ちの人が多いのでした。

そこへ運良く、水上人形劇のある公園から帰ってきたヒゲの老人が通りかかりました。
あの老人はこのお寺の住職さんだったのです。
「なんだ、なんだ、三毛ちゃんかい。お母さんが心配してずっと探していたみたいだよ」
と説明して、小坊主さんたちと一緒にお母さんの待つ公園に引き返します。

そこでは、もう心配で心配でと青い顔をしたお母さんがウロウロしていました。
お母さんの顔を見るなり、ゆきちゃんは身をもがいて小坊主の腕から飛び出しました。
“お母さん!にゃん、にゃん”

ゆきちゃんは嬉しく嬉しくて、大声で泣きながらお母さんの腕にしがみつきます。
お母さんはお母さんで涙をボロボロこぼしながらゆきちゃんを抱いて、頬ずりしたり、なでたりしています。
それを小坊主のみんながニコ二コと見守っています。

でも戦争孤児でお寺に預かって貰っている何人かは、お母さんとゆきちゃんの再会を羨ましそうに見ているようでした。
お母さんはヒゲのおじいさんにお金を渡して、お礼に皆さんで何か召し上がってください、と手振りで伝えましたが、おじいさんは顔の前で手を振って飛んでもないと、激しく断ります。

何度か同じ動作をくりかえした後、お母さんは袋から何かあった場合のお土産としてもってきた日本の切手をとりだし、一人一人に渡しました。

それからきっと手紙を書きますね、と住所を聞き、書いてもらいました。
英語の片言も通じるようで、何人かはレターとかジャパンとか言って、通じたようです。

そうこうしている内に観光客の一団も戻ってきて、ドクさんが駆け込んできました。
「みつかった?それは良かった」
と、ドクさんも嬉しそう。
ゆきちゃんは早速バレないようにバッグの中に押し込まれます。

観光のお仲間たちは可愛い小坊主たちを見て口々に可愛いいを連発。
写真をぱちぱち撮るので、恥ずかしそうにしています。
「へぇえ面白い人とお知り合いなんですねぇ」
と、そこで待ち合わせていた人だと勘違いして、しきりに感心している人もいるので、お母さんはなんだかくすぐったい気持ちになり、バッグに手を入れてゆきちゃんの頭をなでまわしています。

ようやく全員そろってホテルに戻ることになりました。
お母さんはお坊さんたちに深々と頭を下げバスに乗り込みました。
窓にくっついて、他の仲間には見つからないようにバッグをあけ、ゆきちゃんの顔を見せます。
小坊主はゆきちゃんとわかれるのがちょっと寂しそうです。
ゆきちゃんも声をあげそうになり、お母さんは慌てて大きな音で「クシャン!」とくしゃみをしてごまかしました。

夕食の時は、罰としてゆきちゃんはまたクローゼットに閉じ込められましたが、疲れきっていたゆきちゃんは、これ幸いとばかり暗がりでぐっすり眠ってしまいました。
もっとも途中でまたドブネズミに追いかけられた夢をみて、目がさめひとしきりニャー、ニャー鳴いてみたりしましたが。

翌日朝食の席で、ガイドのドクさんが気をきかせて、お母さんを別の場所に呼んで、帰りの飛行機でゆきちゃんを一緒に運んでくれる人を見つけたと教えてくれました。

その人は世界各地の猫を買い付けて日本に送ったりしている人なのだそうですが、ちょっとお金を払えば、ゆきちゃんも買い付けた猫として運んでくれるらしいのです。

勿論檻に入れてなので、お母さんはちょっと心配でしたが、その人は猫の扱いにも慣れているらしく優しい人だということなので頼むことにしました。

出発の前にお部屋にきた人は、恰幅の良い日本の人で、ゆきちゃんをみると、
「ほうほう、コレは可愛い、いい三毛ですねぇ。こっちじゃ珍しいから高く売れますよ」
なんて言うので、ちょっとむっとしましたが、すぐに抱いたりせず、指の匂いをかがせ、首をそっとなでたりして、次第にゆきちゃんがなついて抱き上げても平気で顔などをなめるのを見て、やっぱりいい人なんだわ、と安心しました。

「絶対売りませんからね」と念を押して、ゆきちゃんを預けます。
ゆきちゃんは“にゃ~、にゃ~”鳴きましたが、おじさんが大丈夫、大丈夫となでると安心したのかすぐに泣き止みました。
「じゃ、ゆきちゃん、すぐに逢えるからね」
お母さんはもう涙声です。

こんどは檻に入れられ、トラックごと空港に運ばれたゆきちゃんは、貨物室に入れられます。
周りの猫はペルシャやメイクィーンなど高価そうな猫ばかり、コラットというタイ産で灰色のビロードのような毛皮の猫もいます。
全員不安そうにニャ~、ニャ~鳴くので、頭が変になりそうです。

“みんな大丈夫よ。日本に行けばお母さんみたい優しい人が沢山いるし、美味しいごはんも沢山食べれるんだよ”
と、ゆきちゃんが力説します。
“へえ~、日本って知ってるの? どんなとこ?”
みんなが一斉に色んな言葉で聞くので、訳が分かりません。
それでもゆきちゃんは精一杯教えてあげました。

“ふ~ん、日本ってよさそうなとこじゃない”
“ナンだか寒そうだよなぁ”
高価な猫たちは口々に話ながら、次第に眠り込んでゆきます。
轟音の中でゆきちゃんも、眠りこんでしまいました。

「ゆきちゃん、ゆきちゃん」と言う声で目がさめると、もうお母さんが手を檻の中に入れて抱っこしようとしているところでした。
「有難うございました。助かりました」
と、猫おじさんにお礼を言って早速家への電車に乗り込みます。

元気一杯のゆきちゃんは道中ず~っと、ニャン、ニャンと鳴きまくりました。
実は、“おうちだ、おうちだ”と歌っていたのですが。

なつかしい匂いのする玄関をあけると、大ちゃんが“お帰り~”といって近づいてきました。
早速大ちゃんと駆け回って、ご挨拶です。

“何してたんだよ~。寂しかったよ~”
と、大ちゃんはゆきちゃんの身体中をなめまわします。
“ちょっとヘンな匂いしない? ベトナムって国へ行ってたんだよ”
ゆきちゃんはちょっと得意そうです。

そこへ見慣れない黒と灰色の縞の子猫を抱いたお隣の山田さんが、ベランダ越しに声をかけてきました。
「無事、戻ったようねぇ。よかったわねぇ」
「留守中有難うございました。いやぁ、向こうであやうくゆきちゃん迷子になる所だったのよぉ」

二人の会話を気の強そうな子猫が顔をアチコチ向けながらじっと聞き入っているようでした。
その内どうやらこの子猫もゆきちゃん物語の一員になる予感がします。

“あ~あ、ベトナムも楽しかったけど、やっぱり大ちゃんとお母さんがいつもそばにいて、おいしいご飯が食べられる我が家が一番だなぁ”
早速お皿一杯に盛られたカリカリを小気良い音を立てて食べながら、ゆきちゃんは心からそう思うのでした。

                 - 終わり -



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