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8: 存在したもの (初回掲載・2003年7月1日、再掲載・2005年1月29日)


by akira さん (2002年12月21日、「BLUE BLUE」の掲示板から)


      別れは辛い。
       でも失わない。
       そのとき、その場所に、存在した。







9: ある日のメールから (初回掲載・2003年2月2日、再掲載・2005年1月29日)

by Moto-k さん & Darth Yumi

2003年2月1日・・・その日、なにげなく交わそうとしたメール。

日常の中で、お互いのメールはただ「空」という共通項を持つ思い出を語るはずでした。

共時性、そのことに驚きました。
何回か往復したメールの一部分ずつを、ここにご紹介します。

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ぼくの暮らしは相変わらずですが、最近変わったことといえば、
旅行の際、飛行機に乗りました。

ジャンボではなく、ジェットエンジンが二つしか付いていない
小型機でした。
「子犬のように小さい」と感じました。

その飛行機はぼくたちを乗せると、
関空からぐんぐんと大空に舞いあがり、
あっけなく雲の第一層を越え、
じりじりと二層をも越え、蒼空に達しました。

途方もない高さでした。
市街地のビルディングが、大人の視点から見下ろした庭の苔
くらいの大きさに見えました。
900メートル級の山脈が、ござに足を引っ掛けたときに出来る、
皺くらいの高さにしか見えません。

その光景は人間の感覚を超えていました。
飛び降りても死なないような気がしました。

蟻の目に世界の全容が映らないように、あの高さは
人間の認識力の埒外にあり、認識不能ゆえに
恐怖の生理的反応が発動しないのだと思います。

そんな、本来人類に無縁のはずの領域に、機械の力で
強引に登ってしまえる今の世の中は、
底知れず不思議で素晴らしいと思いました。

この世には不思議なことがたくさんあるのに、
それを見定めるにはぼくの寿命はあまりにも短くて
到底足りません。
かのサンジェルマン男爵のように、不老不死になりたいものです。

それではごきげんよう。

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飛行機からの視点の文を読んで 驚きました。
自分もそう感じたかもしれないことでも、それを文章で表せる
ということは、すごいことだと思います。

意識の表面にのぼってこなかったことが、そういう文を読むと、
ああほんとうだ・・・とか、ええっ、そうだったのか?! とか思え
るのです。

私は昔、とても飛行機に憧れていました。
実際には乗ったのは、3回くらいですが、今は乗りたくないんです。
文明を信用しなくなったので(爆)、私が死ねばゴンが路頭に迷う
と思うと、地上にいるほうが それこそ足が地に付いてていいです。
(^m^)

初めて飛行機に乗ったのは、ひとりで新潟へ行った時でした。
やはりプロペラ機でした。
佐渡島が眼下に見えた時、「おぉ、地図といっしょだ!」と、妙な
感心をしました。ミ(o_△_)o

あ・・・今、スペースシャトルが音信不通になったと、仲間からケー
タイにメールが! (@@;)
やっぱり飛ぶものは怖いですぅーーー! (T_T)

・・・スペースシャトルはテキサス上空で爆発・・・。
怖いです。

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メールを書くために、飛行機旅行の記憶を呼び覚ましたところ
でしたので、今日コロンビア号の爆発事故の映像を見たとき、
身にしみて、心がしんと痺れました。

あの超高空、空気さえ凍りついた蒼空で死ぬとき、いったい
どんな気持ちがするのでしょうか?

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ほんとに、タイミングが怖かったです、飛行機旅行についての
メールを書いている、まさにその時にはいったニュース。

サイバーテロの可能性を疑った人もいますが、その可能性は
あるのかしら・・・?

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ご存知のように、蒼穹に憧れて 宇宙空間で人生の一部を過ごした
人たちは、地球帰還のまさにその時に、その人生を終えました。
彼らの肉体は 焼け焦げた断片となって地表に到達。

肉体消滅後に残る思念エネルギーは・・・?


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