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12: ヒンシュクおやじの事件簿・1
     (初回連載開始・2003年5月、再掲載・2005年1月31日)

by Darth Yumi

おもな登場人物:

      品野 俶臣(58)シナノ化成・社長、あだ名は「ヒンシュク」
    
      品野 登美子(53)ヒンシュクの妻

      品野 義男(29)俶臣・登美子の息子、シナノ化成従業員

      武藤 耀子(22)登美子の姪、大学生

      小池 徳次(80)品野家の近所のじいさん

      西村 洋一(29)義男の友人、塗装職人

      竹本 浩三(47)保険代理店経営

      竹本 直美(45)浩三の妻、学習塾講師

      竹本 浩樹(17)浩三・直美の息子、高校生

      戸川 智 (18)浩樹のクラスメート

      花井 照正(33)農業を営む空手家

      品野 数由(56)ヒンシュクの従弟、ナンバー機材社長

      品野 雅恵(54)数由の妻

      ダース・ユーミン    竹本直美のネット友達

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内容:
     
プロローグ

第1章:空飛ぶヒンシュクおやじ

第2章:ヒンシュク、囲碁にハマる

第3章:ドロボー物語

第4章:ヒンシュク、推理小説にハマる

第5章:失踪

第6章:捜索

第7章:帰還

第8章:オープン囲碁トーナメント

エピローグ

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プロローグ


家からもうどのくらい歩いてきただろうか、道はずいぶん細くなって、山あいの空気がひんやりと心地よい。

うらうらと照らす陽光、田の土と、ささやかな水の流れと、道端の草。
緑の中には レンゲソウのピンク、タンポポの黄色い花、名も知れぬ小さな白い花。
コジュケイの鳴き声がにぎやかに響く、「People play(ピープルプレイ)! People play!」
そんな中を歩いてきたあげく、山の切り通しの道にはいったのだから。

その切り通しのあたりの色は、薄い紺色。
・・・実際にはそんな色であるはずもないだろうが、記憶の中ではいつもそこは青く沈んでいる。
そして、細い切り通しを抜けると、目の前には木々に囲まれた畑が見えた。

1枚は、赤と紫の、もう1枚は、オレンジと赤と黄色の畑だった。



第1章 空飛ぶヒンシュクおやじ

                1

「ほ~い、社長、おるかん?」
のどかな三河弁が聞こえて、品野登美子(しなの とみこ)は給湯コーナーから事務所の方をのぞいた。
「小池(こいけ)さん、すいませんねえ、またどっか行っとりますで・・・」
「ま~たヒコーキかのん? どれ、ちょっと工場のほう見てみるかな」
と、80歳の小池老人は、勝手知ったる品野家の敷地を工場の方へ向かおうとした。

「よかったら後でお茶でも飲んでってください」と、登美子が言った。
「ありがとさま。 ほいでもまあじき昼だで、ヒコーキがなかったら、ワシ帰るで」
「なんぞ用事だったら、言っときます」
「いや、そう大した用事だないだよ、ちょっと誘いたいことがあってのん・・・ほうだ、あんたもやらんか、囲碁」
「イゴって・・・あの『ヒカルの碁』の?」
「うん、ブームだでのん、ワシらの会でも、メンバーを増やしたいだ」

事務所から出た小池老人は、裏手に回って、小高い山を半分削った土地に作られたシナノ化成の工場に向かった。
案の定、トラックと「ヒコーキ」はなかった。
きょうは風が少なく、梅雨明け前なのに天気がいいので、三河湾へ飛びに行ったに違いない・・・モーターグライダーで。


                2

カラコロカラコロン・・・とカウベルを鳴らして喫茶店にはいってきたのは、ペンキだらけの作業服姿の青年だった。
その姿を認めると、窓際のテーブルから、品野義男(よしお)は声をかけた。
「おい、洋一(よういち)」
「あ、なんだ、義男か、昼休みか」
「うん。 お前、きょう現場ここらへんか?」
「郵便局の近くの家のよう、外壁の仕事できのうから1週間の予定だけど、雨が降りゃそんだけ工期が遅れる」

よっ、と小さく声をあげながら 義男の向かいに腰掛けて、西村(にしむら)洋一は首にかけたタオルで顔を拭いた。
まだ梅雨明け宣言が出されてないが、ここ数日とても暑い日が続いている。
「きょうのランチは何だ、お、ミックスフライ定食か」
義男の食べているランチを見ながら 洋一は、水とおしぼりを持ってきたウエイトレスさんに言った、
「僕もね~、ランチと、アイスコーヒー、プリーズ♪」

ウエイトレスの女の子が笑いながら去ると、洋一は義男をのぞきこむようにして言った。
「きのうなあ、おれ、どそろしいもん見たぞ・・・」
どそろしい、とは、「恐ろしい」の強調語である。
「なんだ」
「おれが仕事しとる現場の前の道をよう、プロペラのついた変なもんに乗って、どっかのおっさんが走ってくだ・・・ズババババ!てって」
「げっ、親父だ・・・」
「なんだー、お前の父さん? マジ?」
「マジだでかんわー、はずかしいでやめろて言っとるだけど、時々やるだ・・・」
「ってゆーか、道交法違反だないのか、あんなもんで走るのって?」


                 3

無風快晴、眼下には7月上旬の真昼の陽光を反射する三河湾が広がっている。
グングンと高度を上げながら、品野俶臣(としおみ)、略してヒンシュクの操縦するモーターグライダーは、大きな弧を描いて飛ぶ。
眼下の大小の船、防波堤の釣り人たち、遠くに竹島も傾いて見える。
高度800メートルにも昇ることができる。
こんなひとときは何物にも代え難い。
苦労して操縦士免許を取った甲斐があったというものだ。

以前は無免許で250cc のエンジンのついたグライダーに乗っていた。
だがそれでは物足りなくなり、ヒンシュクは一念発起(ほっき)して、講習を受けて免許を取り、400cc を手に入れた。
受注生産だから値段も高くて、高級乗用車くらい。

ハンドル、サドル、3本のタイヤ、そして一番前に木製の大きなプロペラのついた骨組みに、ヤマハのオートバイ用のエンジンを搭載。
羽根はハンググライダーに似ているが、主翼のほかに尾翼がつくところが違う。
ハンググライダーは山の斜面を利用して 人間の足で助走をつけて駆け下りながら飛ぶが、モーターグライダーは平地から飛び立てる。
時折ヒンシュクは、羽根をつけずに乗って道路を走って喫茶店などに行って、ひんしゅくを買うのだった・・・。

「・・・さて、そろそろ降りるか、腹も減ったし・・・」
海沿いの空き地に向けて近づくモーターグライダーを、じっと見つめるふたりの人間がいるのに、ヒンシュクはさっきから気づいていた。
2台のオートバイが その連中のかたわらに見える。
着地すると、高校生らしき少年ふたりが駆け寄ってきた。

「・・・おじさん、それ、二人乗りできる?」
「おお、できるよ。 乗りたいかん?」
「乗せてください!」
「ええけどが、命の保障はせんよ?」
「それでもええです」
もうひとりが横から言った、「うん、こいつが死んでも誰も泣かんで」


                 4

「うわあぁ~・・・」
「どうだ、ええ気分だろう♪」
「はい・・・ちょっと怖いけど」
「わっはっはっは♪」
次第に高度を上げたモーターグライダーは、トンビのように華麗に輪を描いてターンする・・・はずが、いきなりグラッと傾いた。
「ああああああああああああああああああああ」「うわあああぁぁ」
ドザバーーーーーッ!!

幸い、あまり高度が上がってなかったのと、岸に近いところだったので、ふたりは命からがら脱出できた。
着水してもすぐには沈まないため、スーパーマンのようなかっこうだったのを 足をはずして、腹のベルトをはずすことができたのだ。

ヒンシュクはふたりをともなって家に帰り、男3人が風呂を使ってから、登美子と一緒に高校生ふたりを連れて焼き肉を食べに行った。
道すがら、登美子は高校生ふたりにたずねた、
「あんたんとう、学校は?」
「今、テストだもんで・・・」
「きょうは3教科テストがあっただけで、あとヒマだったもんで・・・」
ふたりはモソモソと答える。
「ほいじゃまあ今からしっかり食べて、きょうからまたがんばりん」
笑いながら登美子にそう言われて、ふたりは「はい」と小さくうなずいた。
ヒンシュクといっしょに海に落ちたほうのは、コンビニで買った下着と、シナノ化成の作業服を着ている。

オートバイを停めたままの海岸まで送ってもらい、高校生ふたりは口々に、「ありがとうございました!」と元気に言った。
「この服、洗ってから返しに行きます」
「ああ、急がんでもええでね」と、登美子は応じて、「気いつけて帰りんよ!」

「さて・・・ヒコーキを引き上げてもらわなかんで、ダイバーを頼まなかんなあ」
「それはまあ、しょうがないけど、ウチも今、厳しいで、当分ヒコーキはお預けだでね!」
妻にクギをさされて、ヒンシュクはしょんぼりとうなずいた。
「どうせエンジンは乗せ替えなかんでなあ・・・まぁしょうがないわなあ、この不景気だし・・・」


                 5

品野俶臣、58歳。
中卒で工員として働き、若い頃は一時、船に乗っていたこともあるが、なぜか運に恵まれて今の会社、シナノ化成を興した。
作っている製品は、荷造りテープを細くしたような薄いテープで、畳の裏などに使われる。
また、それを織ったものを内側に張った紙袋も製造している。
従業員数は、家族を含めて20名。

いつもちょっとヨレたような作業着の、茫洋とした外見は、あんまり「社長」らしくは見えない。
ヘアスタイルは、きわめて短いスポーツ刈りで、最近では白の割合が増してきている。
5歳年下の妻・登美子は、すでに夫の服装について何か言うのをあきらめていた。

趣味はモーターグライダーのほかに、「山仕事」がある。
県内にいくつか彼の持ち山があり、下草刈りや、杉の木の枝払い、また沢にワサビの苗を植えて育てたりする。
山へ出かけるのにセルシオに乗って行く。
その車のボディやドア、バンパーなどは、あちこちに擦ったりぶつけたりして特に左側が傷やへこみだらけ。
新車がたった1年でボロボロになった。
そこから察するに、あまり反射神経がいいとは思えない。

杉やヒノキの枝払いをする時、1本の木の上の方にいて、隣の木に移るには、一度降りたほうが安全である。
だがヒンシュクはその手間をかけずに 枝づたいに隣の木に移るのが好きである。
「社長、やめとくれん!」
話を聞いたら たいていの人はこう叫ぶのだが。

それで事故がないかといえば、そうでもない。
ただ山の中を歩いているだけでも、足を滑らせて急斜面を転げ落ちるなんてことも たびたびある。
一度など、それで意識を失って、翌々日に運よくハイカーに発見されて助かったこともある。
腕の傷にはウジがわいていたという。

そこまでいかずとも、数時間気絶していた挙げ句に夕方になって目が覚めて、血だらけなのでビックリ。
「車のバックミラーで見たらよう、鼻に穴が開いとって、あん時ゃビックリしたなあ」
つまり、小鼻というか、鼻孔の外側に貫通創があったということ。
それで今まで死んだことがないというのは、いわゆる命冥加(いのちみょうが)というやつだろう。

しかしさすがに、もうじき還暦というほどの歳になって、最近では自分でもあんまりムチャはできんなと思ってはいるようだ。

(第1章おわり、第2章に続く)




13: ヒンシュク・2 (初回掲載・2003年夏、再掲載・2005年1月31日)

第2章:ヒンシュク、囲碁にハマる


                 1

「殺してやる・・・」武藤耀子(むとう ようこ)は、なにやら物騒なことを口走っている、
「絶対に、殺してやる!」

「お~こわ♪ ヨーコちゃ~ん、女の子がそーんな怖いこと言っちゃあかんて♪」
デレデレと鼻の下を伸ばして軽口をたたいているのは、碁盤を挟んで向かい側に座った初老の男。
地元の地区市民館で ヒマがあると集まってくる囲碁好きのおっさんのひとり。
さっきから「ノゾく」などの囲碁用語を駆使して セクハラめいたことを言っている。
そして、耀子の陣地を侵略しようと、石を置いてきたのだ。

「・・・こうツケる、ハネる、ノビる、ツぐ・・・よし!」
耀子はビシッと黒石を打った。
「おっと、きなすったね? それじゃこう・・・お、そっちか・・・ほい!・・・あ!」
何手か進んで、とうとうおっさんの白石は死んだ。

「うひゃ~まいったまいった、オジさん負けちゃったわー! ヨーコちゃんあんた、強なったねえ・・・」
「いえ、今のは運が良かっただけですから」
「いやいや、そんなことないに。 こりゃ今度の地区対抗に出場決定だな!」
「ええ? 私が? だめですよそんなの。 チームの足引っ張っちゃう」
「大丈夫大丈夫、色気で相手がクラクラきて負けるように、これからお色気のほうをちいと特訓すりゃええだ」
「んもう!!」

そのおっさんに指摘されるまでもなく、自分は色気に縁遠いと、耀子は思っていた。
着ているものだって男子学生と間違われそうだし、いつもスニーカーをはいている。
だけど無理をして色っぽくなりたいなどとは、さらさら思わない。
それで男にモテなくたってしかたない・・・女性を表面的にしか見られない男なら、こっちから願い下げだ・・・。


                 2

武藤耀子が囲碁に興味を持ったのは、やはり漫画の『ヒカルの碁』がきっかけだった。
主人公のヒカルはともかくとして、「佐為の君」をはじめ、ビジュアル系の魅力的なキャラクターが女性読者を惹きつける。
耀子は自分も囲碁を打ってみたくなって、まず入門用の本を買ってみた。
だが、いくら入門用というふれこみでも、本だけではズブの初心者にはわからない部分がけっこうあった。
通っている大学には「囲碁同好会」があったが、どうもはいる気にはなれなかった。
遠距離通学の身には、ちょっと暗そうな男子学生たちが遅くまでゴソゴソと囲碁にのめり込んでいる所は、うれしくなかった。

それで耀子は、プレステ版のゲームを始めるとともに、家の近所の地区市民館へ足を運んだ。
ここでは近隣の囲碁好きのじいさん・おっさんたちが週2回集まって碁盤を囲んでいて、耀子は歓迎された。
本やゲームでわからなかったところを、教えてもらうことができた。

だが実際に碁を打っている連中の盤面を見てみると、どうも本にあるものと違うような気がした。
よく言えば、本にあるような「序盤」から「中盤」の流れや「定石(じょうせき)」にとらわれない進行をする。
悪く言えば、「ほんなもん、ワシらが打ちゃあ、ヘビが絡み合ったような・・・」ケンカ碁というやつが多い。

「ゴサゴサを覚えちゃいかんよ」
司法書士をしている、比較的 品のよい老人が、耀子に会うたびに言った。
「殺し合いのケンカ碁のゴサゴサなんか、覚えちゃいかん。 すなおな碁を覚えたがええよ」
ほんとにそうだと、耀子も思った。
彼女が密かに「老師」と名付けたこの老人は、見た目にまっすぐな、美しい石の流れを形作る。

ところがこれは、強いからこそできることだった。
まわりの誰もがそういう「形のよい」碁を打つなら、たとえ弱くても自分もそのように打つことができる。
だが現実には、形の悪い、グチャグチャの、強引な打ち方をする相手に、あっという間にやられてしまう。
老師にそむいても、「殺し合い」は経験を積んで強くなっていくしかなかった。


                  3

ヒンシュクのモーターグライダーが海に沈んだ翌日、夕方近くに また小池老人が訪ねてきた。
「ほ~い、社長、おるかん?」
「おう、小池さん、きんの(きのう)は留守しとって、すまなんだのん」
ヒンシュクは 小池老人を接客スペースに誘った。
登美子が麦茶を持ってくると、小池老人は言った、
「トミちゃん、あんたもコップ持っといでん、作戦会議だ!」
彼は、品野夫妻を囲碁の会にスカウトしようと すごい乗り気で目を輝かせている。

そこへ自転車でやってきたのが、武藤耀子だった。
大学はすでに夏休みになっている。
「こんにちは~、あれ、小池さんもいるじゃん♪」
「あ、ヨーコちゃんか♪」「ほい、ヨーコちゃん、ちょうどええわ、あんたもちょっとおいでん」
口々に誘われて 耀子は持参した水ようかんの箱を差し出した。
「これ、いただきもんですけど、みんなで・・・」

品野夫妻や小池老人の地区と、耀子の住む地区は、距離にして2km ほどで、遠くはないが町内が違う。
囲碁の地区対抗ということになれば、ライバルということになる。
「どうだね、ヨーコちゃん、だいぶ強なったかね?」
と、小池老人が水ようかんを食べながらたずねる。
「まだまだだから、あしたにでも教えてください」
「ほいじゃ、あした、この人らにも見せながら、打つまいか(打とうじゃないか)」
翌日は土曜日で、シナノ化成は隔週の休みである。
「あんたんとうも、ちゃんとやるだよ、ほいじゃ午後1時半にここでええな」
と、話は強引に決まってしまった。


                  4

土曜日午後1時30分、天気はきのうと似たような、降り出しそうではあるが、降ってもたいしたことなさそうな感じ。
耀子は自転車のカゴに、折り畳み式の碁盤と、プラスチックの碁石と、入門書を積んできた。
「こんにちは~♪」
そこへ250 cc のオートバイが1台走ってきて、高校生が降りてヘルメットを脱いだ。
ブルージーンズに、T シャツの上からチェックのシャツを着て、靴はスニーカー。
耀子の服装とよく似ている。
彼は耀子を見て、ペコッと会釈して、「あの・・・」とおずおずと声をかけた。
「ここの家の人ですか?」
「あ、私、親戚。 なんかご用ですか?」
「・・・こないだ、ここの人にちょっとお世話になって、服を借りたんで、返しに来ました」
「じゃあ、こっちへどうぞ」
高校生は、オートバイのシートにタコ足ゴムで固定してあった荷物を持って、耀子の後に続いた。

「登美子おばちゃ~ん、この人が、服を返しに来たって・・・」
「ああ、あんたかね、よう返しに来とくれたね」
「先日はどうもありがとうございました」
高校生はまた、ペコッと頭を下げた。
「・・・これ、うちの親から、お礼です・・・」
「まあまあ、そーんなていねいなことせんでもよかったに。 まあこっちでいっしょにお茶飲んでいきん」
事務所の接客スペースで、ヒンシュクは小池老人としゃべっていたが、高校生を見て、ちっこい目をよけい細めた。
「おお、あんた、よう来たのん、まあこっち来てすわりん!」

「ところで、あんた名前はなんていうだね?」
「あ、竹本浩樹(たけもと ひろき)です」
そこで小池老人が割り込んだ、
「竹本くんか♪ あんたもどうだん、ほい、一緒に囲碁をやらんか」
「小池さん、そんないきなり・・・」と、耀子は笑った。
ところが、竹本浩樹は言った、
「あ・・・囲碁ですか、ちょっとだけならできるかも・・・しれない・・・です」
「なんだん、打てるだかん、そりゃええわ、うちはどこだん?」
「いや、まだ打てるかどうか・・・ゲームやっとるだけだもんで・・・」
「ほいじゃまあ、ちょっとヨーコちゃんと打ってみい♪」

耀子は、テーブルに碁盤を広げて、浩樹と向かい合った。
「ゲーム、どれくらいやってる?」
「まず『ヒカルの碁』の平安時代のやつを、だいぶやりました。 それと、1500円のソフトで・・・」
囲碁、将棋、麻雀などの安いソフトは、ストーリーやキャラクターなどが作ってないから安いが、そこそこ本格的だ。
だが囲碁は、とにかくまだそう強いソフトはできず、有段者にとっては物足りない。
PC 用のソフトで初段くらいか・・・それはもう少し値段が張るのだが。

「人間とは? まだ打ってない?」
「友達と、画面でふたりプレイで打ったことはあります」
「じゃあ、そうだね、私とどれくらいの差があるかわかんないや」
小池老人が、
「ほいじゃあ、4子(し)置いて、やってみん」
「うわあ・・・私、白石なんか持ったことないから緊張しちゃう! おまけに相手が置くなんて!」
「置かせて打つのも勉強になるでのん」

囲碁は歴史が古いので、用語で日常会話の中に定着しているものも多い。
相手の実力を自分より上と認める時に「1目置く」というのも、囲碁から来ている。
「序盤」、「中盤」、「終盤」など、さらに「駄目押し」もよく聞かれる。

耀子が第1手(て)を「3・三(サンサン)」に打ち、浩樹がそれにツけてサガリを打つ。
品野夫妻のために、小池老人が適宜、解説を加える。
もちろん全部ではない・・・初心者が聞いてもわからないところは多いから。

30分ほどで、盤面はあらかた白のものになってしまった。
小池老人が手を出して、
「ここと、ここの黒も死にだでのん、生きとるのは、ここと、こっちの隅だけだで・・・」
「あれ? これって・・・」
「死んどるぞん。 ここが、欠け目だもんで、あとで駄目が詰まってくるとな、ほれ、こうなって・・・」
「あ・・・」
浩樹はしょげていた。
耀子は言った、
「私が初めてやった時といっしょ! ゲームでずいぶん成績が上がってきたでいいかと思ったら、さんざん!」
ニッコリ笑った耀子につられて、浩樹ははにかみながら笑った。
5歳年上のきれいな大学生を、高3の浩樹はまぶしそうに盗み見た。

「あんた、竹本くん、これからもおいでんよ」
小池老人に言われて浩樹は、「はい」とうなずいた。
「いつ来てええですか?」
「よかったら来週の土曜日にまたおいでん、ここが都合悪かったら、うちで教えたげるで・・・さて、次はこっちだ」


                  5

耀子が持ってきた碁盤は、「19路(ろ)盤」という普通サイズのもので、これで1局打つと時間がかかる。
早打ちの人もいるが、平均して1時間30分といったところか。
小池老人は 初心者に教えるために、「9路盤」を持参してきていた。

「わたしなんか、できるようになりゃせんよ」
と笑っていた登美子も、9路盤で教えられてヒンシュクと打ってみるにつけ、次第に熱を帯びてきた。
ヒンシュクは、旗色が良くない。
「こ~んな狭いもんじゃ、わっかれせんぞ、あっちの大きいので打たな」
とゴネだした。
「いや、いきなり19路盤は無理だでのん、13路盤があるとええだが・・・」
小池老人がつぶやくと、隣で浩樹ともう1局打っていた耀子が言った、
「マグネット式のなら、コンビニに売っとったよ?」
「ほんなら、それ買っといでん、カネやるに」
と、ヒンシュクがポケットを探る。
「あは、そんなに高くないから、お金はあとでいいわ♪ じゃあ小池さん、こっち替わって」

かくして、この日、日本の囲碁人口が3人増えた。
品野夫妻は、五目並べとの違いに苦しみながらも、時間を忘れてハマる趣味を得た。
「時間を忘れる」チャンスが少ない女性のほうが 不利であるには違いない。
だがこの夫妻の場合は、それくらいハンデがあるとちょうどよかった・・・。


                  6

竹本浩樹の家は、ヒンシュクたちの町内とも 耀子の家の方とも少し離れたところにある。
受験勉強はする気はないが、高校の友達とのつきあいもあるし、彼はそうひんぱんに囲碁を打つことはできなかった。
それでも、できれば耀子にまた教えてもらいたい・・・その時に今より強くなっていたい、そう思っていた。
だからゲームで囲碁をやるにしても、本を買ってきてそれを見ながら進めるようにしてみた。
プログラムは本のようには打ってこないので、浩樹はイラついた。
品野さんたち・・・あのおじさんとおばさんが もうちょっと打てるようになったら。
土曜日が待ち遠しかった。

ヒンシュクは、息子の義男に囲碁のゲームソフトを買ってこさせて、毎日プレステを占領していた。
登美子が日中や夕方は忙しくて、夜にちょっと打つのがせいいっぱいだったから。
「・・・あっ、この野郎、きたないだないか!」
などと口走りながら、仕事は従業員に任せっきりで TV ゲームにかじりつく社長。
まわりの人間は そんなヒンシュクを見ても、とくに違和感は覚えなかった。
つまり、すっかりあきらめているのだ。

土曜の午後、5人は先週と同じように集まった。
小池老人を師匠とする、囲碁研究会だ。
会社は休みではないが、まあ息子たちが頑張っているからいいか、というところ。
品野夫妻が 早く町内の囲碁の会にデビューできるようにと、師匠も気合いがはいっている。
13路盤で最後まで打ち終わって、目数(もくすう)を数えながらヒンシュクはつぶやいた。
「相手の石とおんなじ石を隠して持っとりゃ、こういう時にこっそり置いて相手の目を減らせるのん」

「そんな~」「ひどーい」「きったなーい」と皆が笑う。
「いやたまに、おるだよ、そういうインチキをせる(する)人が!」
小池老人の言葉に、登美子が笑ってヒンシュクに言った、
「おとうさん、あんた、そういうことだけ まあはい一人前だねえ!」
「伯父さん、頼むからほんとにはやらんどいてね!」
と、耀子もにらみつけ、一同はさらに笑った。
浩樹は思っていた、こんなに笑ったのは、ずいぶん久しぶりかもしれない、と。

(第2章終わり、第3章に続く)



14: ヒンシュク・3 (初回掲載・2003年秋、再掲載・2005年1月31日)

第3章:ドロボー物語

                 1

山には、ドロボーが出る。
もっともイノシシやサル、ハクビシンなどをそう呼ぶのは気の毒というものだが。
ヒンシュクがせっせと植えたワサビの苗は、あらかたイノシシに掘り起こされて食われてしまった。
イノシシの牙はとても鋭いので、専門家以外は間違っても闘ってはいけない。
シシ鍋にして食うどころか、牙でひっかけられたら ただではすまない、衣服の上からでもズバッと切られる。

それよりヒンシュクが打撃を受けたのは、ひそかに自慢にしていた樹齢数百年のヒノキが消えたことだった。
バッサリ根本からなくなっているのを発見した時は、しばし頭の中が真っ白になった。
どこかの悪徳業者による、計画的な犯罪だ。
機械と、ある程度の人数がなければ できることではない。
上質の木材は高いので、それだけの手間暇をかけても見合う金額で売れるということ。

だが、警察に被害届を出したとしても、取り返せる見込みはないだろう。
切り口の年輪を照合できれば、この材木はこの山のここにはえていた、と言えるだろうが、まず不可能。
あちこちの材木商だの製材所だのを 警察が1本の木を捜して駆け回ってくれるわけもない。
ヒンシュクのほかにも、山の持ち主で木の盗難に遭った人はけっこういるのだった。

「まったくまあ、往生(おうじょう)してまうて・・・」
久しぶりに訪れた自分の山からの帰り道、ヒンシュクは1軒の家の前で車から降りて、顔なじみのばあさんと話していた。
彼女の家は、やはり小さな里山を所有している。
「ほうかん、まあ、バチ当たりなやつがおるのん!」
ヒンシュクが木を盗まれた話に、ばあさんも憤慨した。
「ワシの知り合いでものん、な~んぼんか盗まれただに! ええのから順番にやられるてって」
「あんたんとこはどうだん?」
「うちはのん、あんまり材木になるようなものはないに。 雑木ばっかりだ・・・ほいでものん」
と、ばあさんはそこでニッと笑って、
「あんたほい、ちょっと見に来てみん♪」
「なんだん?」

その家の庭に案内されていくと、最近植えたばかりという感じの、枝振りのよい槇(マキ)の木があった。
「このホソバ(槇)はのん、うちの裏山に前からあっただわ、それがちいと前から、誰かが手入れしとってのん」
「誰かてって、あんたんとこの息子だないだかん?」
「それがのん、うちの息子んとうに お前が手入れしとるだかてって聞いても、おりゃ知らんて言うだよ!」
ばあさんはニヤニヤと続ける。
「どうもどっかのよそもんの庭木屋が、せっせとかよってきちゃあ、剪定(せんてい)しとっただに!」
「ほいじゃ、盗まあと思っとっただかのん?」
「ほうずら。 ほいで、まあちいとで完成ていう頃になって、根回しをする道具が持ってきて置いたったもんで」
パンパンと槇の木の幹をたたきながら、ばあさんはうれしそうに言った、
「おじいさんと上の息子が、ちゃっとユンボで掘って、持ってきてここ植えただよ♪」


                 2

畑にも、ドロボーは出る。
舞台はヒンシュクたちの住む G 市からは三河湾の向こうになる、A 半島の A 町である。

「そっち、まだ異常ないか?」
「はい、まだ・・・あ、ちょっと待って・・・車が2台来た!」
「よしっ、気づかれるな、確実になってから包囲する。 地元の車でないやつだったら連絡してくれ」
「押忍(オス)!」
マナーモードにしたケータイを閉じると、花井照正(はない てるまさ)は、かたわらの仲間にうなずいた。
ふたりで、農具小屋の影に身を潜めて待つ。
100メートルほど離れた資材置き場には、ほかの3人の仲間が潜んでいる。
いずれも 花井の所属する空手の流派の、門下生たちだ。

ここ、A 町はビニールハウスやガラス温室が多い。
花の苗、メロンやスイカなど、割合に高価な農産物の栽培が、あちこちで行われている。
花井の家もその1軒であり、33歳の彼のように、若い農業経営者もそこそこいる。

夏場になると、A 町のあたりにも よそ者が車で押し掛けてくる。
サーファーとは限らず、ただヒマを持てあまして海辺へ繰り出してくる若者も多い。
そのせいで道が渋滞したり、迷惑駐車をされたり、ゴミを散らかすやつがいたり。
カーステレオやCD ラジカセで ボリュームを上げてやかましい音楽をかける連中も迷惑この上ない。
被害はそれだけにとどまらなかった。
ドロボーまで出るのだ。

今年もすでに、あちこちでメロンの被害が出ている。
花井たちは とうとうたまりかねてドロボーを退治することにしたのだった。
幸い花井は 高校生の時から空手を習っており、有段者となった今では、いくつかの町の道場で師範も勤めている。
近所の農家の期待も背負って、今夜は5人で張り込んでいる。

近づいてきた2台の車が止まった。
1台は RV 車、もう1台はセダンだが、どちらもルーフキャリアにサーフボードを積んでいる。
ドアが開いて、中から何人か若い男が姿を現した。
同時に、花井の手の中でケータイがうなりながら震えた。
「どうだ?」
「よそから来た車です。 5人降りた」
「はやまるなよ、あくまでも現行犯で捕まえなあかん」
「押忍!」

車から降りた5人の若いのが、コソコソと道沿いの温室に向かった。
広い温室の中では、上からつるしたビニールテープに巻きついたメロンの茎に、緑の葉が茂っている。
いく列も並んだ緑のオブジェ、その中腹に、促成栽培のメロンの果実がぶら下がっている。
照明は消してあるが、あたりは暗闇ではない。
道路の照明灯が近くにあるから、かろうじてものの見分けがつく。
花井たちは、暗い部分を選んで身をかがめながら、温室に近づいた。

大きな温室には、しかし出入り口に鍵がとりつけられていた。
「チッ・・・鍵をつけやがった」
ひとりがつぶやいて、一行はそこから少し離れたビニールハウスに向かった。
花井たちは、5人との距離が十分に離れると、あらかじめ決めてあった作戦に従って散開した。

ビニールハウスといっても、ずいぶん大きなもので、スチールパイプの骨組みでできている。
出入り口の扉には簡単な錠前がついていたが、それを壊すまでもない。
5人のドロボーは、側面のビニールシートをカッターで切り裂いて、ひとりずつはいっていった。
こちらのハウスでは、メロンの蔓(つる)は立ち上がらせず、いく畝(うね)もの蔓は敷物の上に結実していた。

「やった、けっこうあるぞ!」
「じゃあ取るか・・・」
5人はそれぞれ、キャンピングナイフ、カッター、ハサミなどをポケットから出していた。
「これ、でけーじゃん♪」
ひとりがハサミでメロンの上の蔓を切って持ち上げたた瞬間、花井が外から叫んだ。
「おい、誰だ! 何やっとる、出てこい!!」

中の5人は飛び上がった。
「やべっ、見つかった、逃げろ!」
幸い(と、5人は思った)、声は侵入した場所と離れた、直接見えないほうから聞こえた。
次々にビニールハウスから出て、一目散に自分らの車のほうへ走る。

道までたどり着いたところ、車の回りに門下生4人が待ち構えていた。
逃げてきた5人はうろたえた。
「な、なんだ、てめーら・・・どけ!!」
その時、門下生のひとりが小型のデジカメで5人を撮った。
一瞬固まったところを、続けて何度かストロボが焚かれ、車のナンバーもしっかり撮影。

「お前んたち、逃げれると思うなよ」
背後から花井が近づく。
「毎年、メロン盗みやがって、どこのガキだ!」
「う、うるせえ! 証拠があるか」
「証拠なんか要らん・・・と言いたいとこだが、さっき現場を撮った。 超高感度フィルムでな」
「・・・うそだ、出まかせ言うな!」
「出まかせと思いたけりゃそれでもええぞ。 ISO 3200のフィルムはストロボなんか要らん」
「くそっ!」

そして、不良サーファーらしき5人は、態度を変えた。
互いに目くばせしながら、身構えた。
どうやらケンカに慣れているらしい。
「けっ、田舎もんが・・・」
車のすぐそばまで行っていた4人が、それぞれカッターナイフやキャンピングナイフを構える。
それを見て、花井の弟子たちは、ニヤッと笑ってそれぞれ大きな草刈り鎌を振り上げた。
足下や車の陰に隠してあったのだ。
「う、うわ・・・」
不良4人はウロをきたしていた。

ビニールハウスから最後に出たリーダー格の男が、その時、ベルトのシースからナイフを抜いた。
反射しないように黒く塗装されたブレード、グリップには革ベルトが巻かれたエアフォース・ナイフ。
それを見た瞬間、花井の目がギラッと光った。
花井はまったく躊躇せずに、1歩で間合いを詰めると相手の左手側に跳び込んだ。

右手に構えたエアフォース・ナイフをなんとか使おうと、リーダーは体を左へ回そうとした。
そこへ花井は、左足で相手の左のヒザにローキックを見舞った。
ガクッとバランスを崩したところを、背後から右腕を逆関節に決める。
「ぐあっ」
たまらずナイフを落としたリーダーを、花井はヒザの裏を蹴って崩し、地面にねじ伏せた。
鎌を持った門下生のひとりが、すかさずエアフォース・ナイフを拾い上げた。

ほかの4人の不良サーファーもそれぞれ、得物を取り上げられてひとかたまりに地面に座らされた。
花井と門下生たちが、不良どもの両手を後ろに回して、ガムテープでグルグル巻きにする。
そして南京袋を頭からスッポリかぶせて、首のところでガムテープを巻いた。
「おい、何すんだよ、やめ・・・」
「うるさい、ジタバタするんじゃねえ!」

「・・・お前んたちなんか、警察には渡してやらん」
おもむろに、花井は言った。
「ドロボーが居直りやがって、凶器まで使って人を殺そうとしたな」
相手は南京袋の下から くぐもった声で抗議した。
「そっちだって、鎌持ってたじゃないか」
「馬鹿野郎! どっちが先に得物を構えた!!」
「・・・・・・」
袋をかぶった5人は、次に何をされるのかと緊張に身を固くしている。

そして花井は、門下生のひとりに向かって聞いた、
「おい、ゲンさんは船、貸してくれるて言っとったか?」
「押忍! もう準備できとります!」
別の弟子が、「トラック、呼びますか?」とケータイを構える。
船だのトラックだのと聞いて、不良サーファーたちは急にそわそわし始めた。
「お、おい、何をするつもりなんだ?」
「ふ・・・」花井は短く笑って続けた、「お前んたちは海が好きなんだろう、沈めてやる」

実は今回の作戦のメンバー選出にあたって、花井はまず、茶帯以上の門下生の中から志願者を募った。
その上で にらめっこ大会を行って、最後まで笑わずにすんだ4人をピックアップした。
ドロボーを捕まえてからが肝心なのだ。

5人の捕虜のうち4人は、完全にうろたえていた。
「なあ、ウソだろ? やめてくれよー!」「冗談だろ? 冗談だよな?」
「俺たちが行方不明になりゃ、警察だって調べるぞ、そっちは捕まるぞ」
だが、リーダーの男だけは、まだ虚勢を張ろうとしていた。
「俺たちに何かあったら、上部組織が黙ってると思うか、どこまでもお前たちを狩るから覚悟しとけよ!」
それを聞いた花井は、ニヤリとしながら言った。
「上等だ、筋モンが怖くて空手がやれると思うか・・・百姓や漁師をナメるな!」

そこへ連絡を受けた2トンのトラックが到着した。
「さあ立て、荷台に乗せてやる」
まずひとり目を、門下生ふたりが両脇からつかんでひきずった。
「や、やだよう・・・やめろ!」なかなかジタバタして立とうとしない。
ほかのふたりが、もうひとり捕虜をひきずる。
「あ~あ、こいつ、漏らしちまったよ」「だらしねーな!」さらに、
「きたねーから、新聞紙敷いてから乗せるか」などとあざ笑う。

地面に座ったままの3人のうち、ふたりがついに泣きだした。
その時、花井が言った、
「さっき、上部組織とか言っとったな・・・お前んたち、ひょっとしてシャブかなんか持っとるか?」
その言葉に、リーダーはちょっと考え込んだ。
花井は弟子たちに声をかけた。
「あ、乗せるのちょっと待っとれ」

演技力が買われた門下生が、花井に言った。
「ひょっとして、車に積んどるかもしれませんね・・・意外と上モンとか」
そっちを向いて花井が少し声をひそめて、
「どうする、それをよこすといったら助けてやるか?」
「そうですね・・・車にある分だけじゃすぐ終わっちまうし」
「生かしときゃこの先も、届けさせれるか・・・」

不良サーファーのリーダーがついに言った。
「なあ、ブツなら少し積んでる」
花井たちは顔を見合わせてニヤッとした。
「よし、どこにあるか言え」
「・・・ハイラックスのダッシュボード、いや、リアシートの隅だったかな」
「じゃあちょっと来い!」
RV 車のダッシュボードに覚醒剤の包みを確認して、花井は110番に電話した。

不良であっても大した犯罪性がなければ、実際に船に乗せてナイトクルーズで死ぬほどビビらせてから、放免するつもりだった。
だがこの連中は、暴力団と繋がりがあって、覚醒剤まで手を出している。
ほっておけば後々ろくなことにならない。
司直の手に委ねて、その後の彼らが自分の人生をどう修正するかはわからないが、本人たち次第ということ。
少なくとも修正のチャンスを与えてやったことにはなるだろう。

2台の車は押収、南京袋だけはずされた5人は、3台のパトカーで連行されていった。
南京袋は、パトカーがよごれないように、漏らしてしまったふたりの不良の座るシートに敷いてやった。


                 3

海にも、ドロボーが出る。
わけあって、場所は明かせない。

ザザーーーン・・・ザザーーーン・・・暗い海に、そのボートはエンジンを停止して浮かんでいた。
船の下の海底では、ウエットスーツに酸素ボンベをつけた漁師が、せっせと作業をしていた。
アワビ、伊勢エビ、サザエ、ウニといった高級食材は、このへんの海域まで来ないとなかなか手に入らない。

ふとした予感に、ボートの操縦者は海を見渡した。
はるかから、1隻の船が近づいてくる。
彼は急いでロープを引っ張り、海底で作業している男に合図をした。
あまりあせって上がると、潜水病になってしまうので、じっくり待つしかない。
やがて、潜っていた漁師が、そこそこの獲物のはいったカゴを持って 海面に浮かんできた。
そのカゴを受け取り、仲間を引き上げてから、操縦を受け持つほうの漁師はエンジンをかけた。

グオン、ドドドドド・・・力強いエンジンの音が暗い海面に響き渡る。
小さな船体に、でかい強力エンジン、素晴らしいスピードが約束される。
なにしろ、「スーパーチャージャー」の付いたエンジンだけで 1千万円!というシロモノだ。

サーチライトで照らしながら、さきほどの船が近づいてきてスピーカーから声が聞こえる。
「こちらは海上保安庁の巡視艇です。 そこのボート、ただちにエンジンを停止しなさい、接舷します!」
ボートはそれを合図にしたように飛び出した。
「ひゃ~、あぶないあぶない!」
「さあ、ほいじゃ帰るとするか」
巡視艇に捕まるような足の船ではない、ボートはうなりを上げて、彼らの経営する民宿へと帰っていった。

その地域には民宿がいくつもある。
漁で採れた海の幸は市場に出されるが、宿泊客がいれば当然そちらにも回される。
だから宿泊客は、値段の割に、食べきれないほどの海の幸を提供してもらえる。
それら民宿の経営者たちは、みなりっぱなエンジンのついた小さなボートを所有しているのだ・・・。
(どこか知りたいというかたがあれば、筆者までメールにて問い合わせることが可能。)

(第3章終わり、お笑いの第4章に続く)



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