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松谷健二先生について(その1) ---その2はこちら---
(初回掲載・2001年12月14日、再掲載・2005年1月28日)
by Darth Yumi
←『逆層』のカバー写真
一期一会(いちごいちえ)という言葉があります。
あすのことはわからぬ人生、誰とでもいつでもそういう気持ちで対しなさい、というような教えであったと思うんですが・・・
ファンレターを差し上げたご縁で、先生ご夫妻に2日間だけお会いできた超幸運な思い出をご紹介させてください!
ドイツのSF、『ペリー・ローダン・シリーズ』・・・ご存知のかたも多いと思います。
日本では、ハヤカワ文庫で訳本が出版されています。
そのシリーズを長年、翻訳されてきたのが、松谷健二(まつたに けんじ)先生。
いつも巻末の「あとがきにかえて」で、とてもおもしろいエッセイを書いておられ、私などは本編よりもそちらを楽しみに、シリーズを買っていました。
軽妙な文体で、さまざまな主題で書かれたけれど、山が何より好きなかたで、山の話は特に魅力的でした。
その「あとがきにかえて」で、ご自分の初めての小説、『逆層』(画像参照)を出版されたことを、ひかえめに書かれたので、しばらくたってからだったけど、1冊購入して読んだら・・・ビックリした!
暗そうなタイトルとはうらはらな、軽妙な語り口で、山男の純情が描かれている。
そしてラストが意表をついていて、「やられた!」
前々から書きたかったファンレターを、一生懸命書きました。
そして、あろうことか、「浜岡原発1号機を廃炉に」という署名を集めていた時だったので、署名用紙と返信用の封筒(プラス切手)まで同封しちゃって!
(あの頃は私も青かった・・・今思い出すと、顔が青くなる。)
先生は、ていねいなお返事と、4名分の署名をくださいました。
その後、連綿と『ペリー・ローダンシリーズ』の訳をこなしながら、
短編集『アレクサンドロスの女』(1989年、築地書館)
短編集『モーツアルト友禅』(1991年、築地書館)
『カルタゴ興亡史---ある国家の一生』(1991年、白水社)
『東ゴート興亡史---東西ローマのはざまにて』(1994年、白水社)
『ヴァンダル興亡史---地中海制覇の夢』(1995年、白水社)
を出版されました。
1994年の5月29日、私はとうとう念願かなって、山形市へ先生ご夫妻をおたずねすることができました。
ご多忙のさなか、2日間を割いてつきあってくださったおふたりでした。
30日に、蔵王山へご案内いただいて、でかい雪渓を渡る時の怖さ、運がよくないと見られないという「御釜」の絶景(画像集参照)、帰りにこれまた運良く出会ったカモシカなど、足の痛みとともに一生忘れられぬ思い出をプレゼントしていただきました。
夜、ホテルまで送っていただいて、ご夫妻と握手を交わした時のこと・・・私は、「日本人の握手は力がこもってなくてキモチ悪い」と欧米人に言われるらしい、というのを思い出して、思いっきりギューーッ!!と握りました。
「フム・・・意外と、ゴツゴツした、骨ばった手だな・・・」と先生がおっしゃったので笑えたのですが、これが4年後の驚きになるとは。
1998年春、奥様から1通の封筒が届き、最後の原稿(ペリー・ローダン)を枕元に置いたまま、持病の急変で「戦死」されたと知りました。
いただいた『旅する石工の伝説』(新潮社)のラスト近くに、ウータ姫の石像の手が、「力仕事もこなせる指であるべきだった」という文があって、「もしかして・・・」と思いました。
4年前にはすでに、松谷先生の構想はふくらんでいたのかもしれない・・・。
←『旅する石工の伝説』のカバー
1928年、東京生まれ。
東北大学文学部卒。
山形大学人文学部教授を経て、翻訳家・作家。
ドイツ語はじめ、ヨーロッパ言語をいくつもこなされたようです。
付記:先日、検索してみたところ、私の知らない戦記物の翻訳がいっぱいありました!
(先生は何も宣伝されなかったのです・・・。)
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